西洋哲学を読みました 4キリスト教に起源を持つ「人権」は、イギリスの清教徒革命、名誉革命やフランス大革命などによって憲法で保障された法律的権利になりました。やがてこれらの「人権」は、その背景が忘れ去られもっぱら法律的権利として詳細に規定されるようになりました。 そうして裁判上で自分を有利にするための道具に成り下がっていきました。 この傾向はアメリカで強く、「製造物賠償責任」としてひところ大騒ぎになりました。 ハンバーガーのマクドナルドでコーヒーを注文し、それをひざにこぼして火傷したとして、おばさんが会社を訴えました。 裁判所は、紙コップに「火傷に注意」と書かなかったのは会社の過失でそれによっておばさんの「人権を侵害した」として、マクドナルド社に約1億円の賠償を命じたのです。 この判決の反響は強烈で、それ以来アメリカの(日本まで)企業は製品に「○○に注意」という警告ラベルをべたべたと貼るようになりました。 企業の競争力喪失を恐れた大統領は「明らかに行き過ぎた」とコメントを出しました。 その後、このいかにもアホらしい「人権侵害訴訟」は低調になっています。 キリスト教の伝統のあるアメリカでさえ、「人権」というのは本来の信仰から離れて一人歩きをします。 人権を考える時は、キリスト教に一度立ち返って判断する必要があります。 そうすれば、後の時代に出来た細かい「基本的人権」の多くが論理的基礎を持たないことが分かるはずです。 アメリカ憲法の基礎となった「独立宣言」には、人権の根拠をはっきりと書いています。 「創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている」とキリスト教の神に由来することが冒頭に書かれているのです。 私はこれに相当する「人権の根拠は何か」という規定を日本国憲法の上で探してみましたが、ありませんでした。 「人類普遍の原理だ」と書いてあるだけなのです。 つまり「向こう三軒両隣がこれだから、うちもこれで行こう」ということです。 キリスト教の信仰が皆無に近い日本では、一度キリスト教に基づく「人権」という法的権利をご破算にしたほうが良いかもしれません。 日本の「人権裁判」の多くは、実際はキリスト教思想に基づいているのではなく、日本人の伝統的な価値観によって判断されています。 ですから現在の「人権規定」ではなく、日本人の価値観を表現する「人権規定」に置き換えた方が多くに国民にその紛争の本質が分かると思うのです。 ロックが言うところの自然状態というのは、「権力者がおらず、理性を持った人間がいてお互いに裁く」という社会です。 理性を持った人間が集まっているので警察を必要としない理想社会です。 ここでいう理性とは、自然法のことで神への信仰がベースになっています。 自然状態でも、全ての人間が理性を持っているわけではなく変な者もいるわけで、そういう者に対する抵抗手段を自然法は認めます。 各人が犯罪者から身を守るのは大変だから、政府を作って警察や軍隊を用意することになります。 この場合に、神が国王を任命するというのはプロテスタントの教義上ありえないので、住民の契約を仮定してその政府を合法的にしたわけです。 これが社会契約です。 私は、この社会契約というのは一つのフィクションでしかないと思っています。 アメリカは独立戦争後、ジョン・ロックの社会契約説によって出来た国家です。 アメリカができた時にアメリカに住んでいた人間は、この国家を作る契約に参加したかもしれませんが、その子孫は契約に参加していません。 つまり現在のアメリカ人はその全員が、国家を作る契約の当事者ではないのです。 さて、ジョン・ロックの経験主義哲学と社会契約説は、ボルテールやディドロなどフランスの啓蒙主義者に熱狂的に支持され、最終的にあの大革命を引き起こしました。 ドイツでは経験主義哲学はどういうわけか受け入れられず、デカルトやライプニッツという古い哲学が人気を維持し、その中からカントのドイツ観念論が出てきました。 人間の心理はいい加減なもので、内乱や無政府状態で治安が悪い時は安定を求めます。 17世紀は戦乱と内乱、革命の時代でした。 こういうときに流行った哲学が、デカルトやライプニッツの「実在」を想定して確たる基礎から思考を積み上げたものや、経験主義のように着実なものでした。 その後、社会は不平等ではあるが安定した平和な状態が続きましたが、そうしたらヨーロッパ人は安全に飽き飽きし刺激を求め始めました。 確固たる理論ではなく情緒を求め出したのです。 金銭を稼ぐことは卑しいことで、近代的経済組織は個人の自由に干渉すると考えました。 民族は一つの団結した魂を持つと感じ、熱烈な国家主義が生じました。 こうして18世紀後半にロマン主義がドイツで発生しヨーロッパ中に広がりました。 ロマン主義とは、功利的な基準を審美的な基準に置き換える運動なのです。 これは20世紀まで続いた息の長い運動で、文学・音楽・絵画で多くの芸術を生みました。 文学者としては、ドイツのゲーテやシラー、イギリスのバイロン、フランスのユゴーやバルザック、アメリカにはソローやエマーソンがいます。 絵画ではゴヤやドラクロア、音楽ではワーグナーという具合です。 彼らの作品に接したらお分かりのように、強烈な情熱を賛美して、それが社会にどういう影響を及ぼすのかを考えませんでした。 社会的ルールというのは自分に対する足かせで、それらの制約を打ち破ると精神的に晴れ晴れするのです。 「偉大」「崇高」というのが合言葉で、偉大な人物にとって凡人は虫けらで踏み潰しても構わないのです。 また貧乏人は金持ちより有徳で、正しい人は社会の中心で不正を行うことを避け隠遁生活をすると考えました。 困窮した百姓を見ては涙ぐむのですが、実際的に意味のある救済策をおこなうわけではないのです。 このロマン主義運動は、西洋文化の輸入によって日本にも大きな影響を及ぼしています。 その影響によって日本にもロマン主義運動が起り、島崎藤村、与謝野晶子や画家の青木繁などはそのはしりです。 「日本浪漫派」という文学サークルも誕生しましたがそのメンバーは錚々たるもので、亀井勝一郎、太宰治、中原中也、三島由紀夫などがいます。 この日本浪漫派を主宰した文芸評論家の保田与重郎は、大東亜共栄圏のイデオローグです。 このような事情から日本式のロマン主義は現在の日本でも大きな影響力を保持し続けています。 現代の日本の新聞は深い思考のない情緒的煽動を繰り返していますが、これなどはロマン主義の堕落形でしょう。 ジャン・ジャック・ルソー(1712~1778)は、18世紀フランスの多くの哲学者たちとは毛色が変わっています。 当時流行っていたのは啓蒙主義で、ヴォルテールやディドロなどは政治的・経済的な先進国であるイギリスを理想として経験主義哲学を唱えていました。 そして彼らの主張からフランス革命が起きたのです。 でもルソーは経験主義ではなく、ロマン主義の哲学を唱えました。 ルソーが当時のフランス社会に大きな影響を与えたのは、彼が人間の感受性に訴える力を持っていたからです。 例えば、彼の「自然に帰れ」という主張は大きな感動をフランス人に与えました。 当時フランス王妃であったマリー・アントアネットも難しいことはまるで分からなかったのですが、「自然に帰れ」というメッセージは分かりました。 そして王宮の一つであるプチ・トリアノン宮の中に本物のフランスの農村を移植し、本物の農婦や牛、羊を配置しました。 そして王妃は時々そこに来ては、乳を搾りチーズを作って「自然」を楽しみました。 こんな擬似農村を作るためにまた金を使って財政難を深刻化させ、フランス革命の原因の一部を作ったという何とも皮肉なことが行われたのです。 ルソーは、感受性を最重視し因習を軽蔑しました。 彼の因習を軽蔑する態度はフランス革命を情緒的にバックアップしました。 しかし、彼の政治理論はフランス革命には採用されておらず、採用されたのはジョンロックの思想です。 ルソーは人間の感情というのを最重視し、人間の感情の発露を押さえつける因習に反対しました。 君主や貴族に対する軽蔑、金儲け対する軽蔑などです。 またロマン主義というのは「崇高」「偉大」が好きで、偉大な人物を待望します。 因習に対する軽蔑と偉大な人物の待望が結びつくと一つの政治思想になります。 ムッソリーニやヒットラーのファシズムというのはこれでしょう。 ファシズムは「国家社会主義」で、一方で金儲けに対する軽蔑や貴族・金持ちに対する嫉妬心を満足させますが、これらのすぐれた政治を行うのが偉大な指導者だという図式になっています。 革新と独裁が同居しているのです。 ファシズムというのは、ロマン主義の政治的表現だと思います。 戦前、日本とドイツ・イタリアは同盟を結び共に戦争に負けました。 そこで日本をドイツやイタリアと同じファシズム国家だったということにしたい者がいます。 しかし、東条英機や近衛文麿はヒットラーやムッソリーニと並ぶ絶対的な権限を持っていたとはお世辞にも言えません。 そこで天皇を持ち出して「天皇独裁」と言い出しますが、天皇が政治にタッチしなかったのは承知の事実ですからこの説は成立しません。 つまり戦前の日本はファシズム国家ではなかったのです。 それは日本のロマン主義がヨーロッパのロマン主義とは違っていたからです。 日本の民主主義や儒教が本場物とまるで違うように、ロマン主義も本場と違うからです。 ロマン主義は本場では、「実在」という独立して存在し永遠に変化しないで存在し続けるものの追及に疲れた反動として生まれたものです。 しかし日本には実在の追及という伝統はありません。 むしろ、「諸行無常」で永遠に変わらない実在は存在しないという仏教思想が主流です。 戦前の体制というのは、日本古来の「同じ釜の飯を食う仲間」は一族だという運命共同体の集合だったのです。 その中で最強の運命共同体である陸軍が自分たちの利益を主張したというだけのことで、それと幕末からの伝統だった「大東亜共栄圏」が結びついただけです。 余計なことを長々と書いてしまいましたが、現代のファシズムにいたる流れの最初にルソーが居たということを私は言いたいのです。 ルソーは、独立して存在し永遠に変わらない「実在」、「神」があるということを論理的に証明しようとしません。 「私が一人でいる時、私は神が存在しないのではないかという意見を持った。 しかし太陽が大地を覆うモヤを四散させ、自然のキラキラする光景を露わにする時、太陽は私の魂のあらゆる曇りも散らせてしまう。 そして私は再び自分の信仰を見出す。神を賛美しほめたたえる私は、神の存在の前にひれ伏す」と書きました。 またエミール(教育論)の中で次のように書いています。 「自然な感情は共通の利益に奉仕するようにわれわれを導くが、理性は利己心を強要する」 有徳であるためには、理性より感情だけに従えばよいということです。 そして神の教えは個人個人に直接啓示されるもので、救いは特定の教会員に限定されるものではない、とも言っています。 これはもうキリスト教ではありません。 キリスト教では、洗礼を受けたものしか救われないからです。 また、「人間は生まれつき善なるものだが、様々な制度によって悪人にされている」というのがルソーの基本的な考えです。 これは、人間はアダムとイブ以来原罪を背負っているというキリスト教とは対立する考え方です。 このようにルソーは、自分が感じるままに神を作り出しています。 そしてその神は、「自分が感じるから神は存在するのだ」といっているだけで、それ以上の証明は一切ありません。 プラトン以後、哲学者は必死になって神の存在を論理的に証明しようとしたのですが、ルソーはそんな努力をあっさり否定してしまったのです。 こういう意味でルソーの神は非常に主観的なのですが、その一方彼は神の存在は必要不可欠だと考えます。 安定した社会を作るには、各人が有徳でなければならず、それには神への信仰が無ければならない、と主張しています。 そして積極的に無神論を宣伝する不心得者は死刑にすべきだとまで言っているのです。 フランスの啓蒙主義者は宗教を理性に反しているとして否定していましたが、ルソーはキリスト教のつじつまの合わないところを変えてしまい新しい宗教を作り出したのです。 フランス革命は啓蒙主義者が始めましたから最初はキリスト教を否定していましたが、それでは民衆が納まらないし治安も乱れてきたので、ジャコバン派のロベスピエールは「理性の神」を作り出しました。 さらにナポレオンは、ローマ法王と和解しキリスト教を公認しました。 宗教を否定するというのは頭の中だけでできることで、現実の社会ではそんな書生論は通用しないのです。 ルソーも「自然法」というものを想定しましたが、ここでも彼は論理的に考えません。 自然の声から直接に導かれたものだろうと考えるだけです。 ロマン派というのは個人を拘束するとして因習を敵視しますが、ルソーはこの自然法も因習との関連で考えます。 即ち、自然状態とは因習によってその権威が裏付けられた特権の無い社会だ、と考えるのです。 そして「こうした不平等な特権の基には私有財産がある」というのが、彼の主著「人間不平等起源論」の要旨です。 そして本来自由で平等なはずの人間が政府を作るという社会契約説を唱えます。 その際、各人は持っている権利のうちの一部を政府に譲り渡すというイギリス式の穏健なものではなく、その全部を譲り渡すという過激なものです。 個人には何も残らないわけで、政府の行動を監視する権限もありません。 政府の独裁になってしまうわけで、ここがイギリス式の社会契約と基本的に違うところです。 ルソーも民主主義というものを説いていますが、彼の民主主義というのは市民全員が国政に参加する直接民主制であって古代ギリシャのポリスを念頭に置いたものです。 それより大きな国家は代表制が良いとしていますが、彼はこれを「選挙貴族政」と呼んでいます。 そしてもっと大きな国家では専制政治が一番よいと言っています。 フランス全体を領土とする大国家には専制国家が一番ふさわしいわけで、ルソーが民主主義を唱えたという現代の常識は間違っているようです。 結局、ルソーが目指したのは「平等」であって、その実現のためには「自由」を犠牲にしてもやむを得ないと考えていたようです。 専制政治が悪いのではなく、私有財産を守るための因習によって支えられている世襲の国王が専制を行うのは不平等だから良くない、といっているだけなのです。 これはまさにフランス革命真っ最中の時の過激派であるジャコバン派の主張そのものです。 社会契約によって、各市民の持っている自然権は全て国家が譲り受けるので、国家は何者にもさえぎられる事がなく行動できます。 全市民の自然権を代表する国家に影響を与える圧力団体は存在してはならないのです。 ですからルソーは、教会、労働組合、政党などの存在を禁止しています。 これは見事な専制国家で、現在の「民主国家」とは似ても似つかないものです。 現在のフランスは非常な官僚主義国家だということを耳にしますが、やはりこういう伝統がフランスにはあるのでしょうか。 隣のドイツも全体主義国家の本場ですし、大陸にはイギリスと違った専制政治の政治風土がありそうですね。 我々は、「人類普遍の原理」になってしまっている「民主主義」というのがイギリスという島国で発生した特殊な思想だと理解した方が良いようです。 そしてフランスといえども、それを輸入して完全には機能していないことを知っておく必要があります。 ジョン・ロックが始めた経験主義哲学は、「本当に存在するものは何か」という問いを中途半端に放置して、「大体あてはまればそれでいい」とこの世の現象を確率の問題としました。 この経験論は、ロックの後バークリー、ヒュームに引き継がれました。 外界で起きていることを眼・耳・鼻などで感じるのですが、経験論はその関連をはっきりとはさせなかったので、外界の現象が確実に存在するということを言えません。 そしてヒュームは、「自分の感覚以外のことは何も分からない」という結論を出しました。 「自分や外界にあるもの、更には神というものはどういうものだろう」ということを知るのが哲学の目的ですが、「何も分かりません」というのはもはや哲学ではありません。 経験主義哲学は当時ヨーロッパに広まっていましたから、哲学の目的を放棄したような「袋小路」の哲学が出てくると困ります。 そしてこういう状況に対応したのがドイツ観念論です。 当時はロマン主義の時代でドイツはロマン主義の本場ですから、ドイツ観念論の基礎もロマン主義です。 ロマン主義というのは論理的なものでなく情緒を大事にするものです。 この世に確実なものが何も存在しないということは善も徳も存在しないということで、「それでは困る」と情緒的に考えた人がカント(1724~1804)です。 彼は始めライプニッツの哲学を学んだのですが、ルソー(ロマン主義)とヒューム(経験主義)を読んで古い論理的なライプニッツの哲学と決別したのです。 カントは倫理を最高のものと考えて、それが全ての出発点です。 ロマン主義は金銭的な損得を軽蔑して英雄的な行為を賞賛します。 カントもそうで、倫理的なことは英雄的に嫌でもしなければならないのです。 「弟が好きだという理由で親切にするなら道徳的長所ではない。道徳律が命じるという理由である行為がなされるときのみその行為は道徳的」という具合です。 そして「倫理を守った有徳な人は死後あの世で報われなければならない。よって神は存在するに違いない」という調子です。 これが、神が存在することの証明であって、論理的ではなく情緒的です。 英雄主義はロマン主義の特徴で、カントから時代が下るにつれてドイツ観念論の英雄主義は強くなっていきました。 物質的幸福を犠牲にして、精神を追求していかなくてはならないというわけです。 そうしてこの流れの行き着く先がニーチェの超人思想や全体主義だと思います。 またロマン主義の特徴として民族主義というのもあります。 ナポレオン戦争末期に哲学者のフィヒテは「ドイツ国民に告ぐ」という有名なパンフレットを出版しドイツの独立を鼓舞しました。 またヘーゲルの哲学というのは国家至上主義です。 カントは「純粋理性批判」という理解するのが極めて難しい本を書きました。 この本で言わんとしているのは、知識の一部は先天的なもので経験によって得られるものではないということです。 歴史上の事実や科学的知識というのは、経験によって得られるものです。 その一方、2+2=4という計算は、一度それを理解してしまったらその後は検証する必要はありません。 一度知ってしまったら、それが経験以外に基づくことが分かるというものです。 そして因果関係は先天的な知識だと言うのです。 つまり、善悪とその結果という因果関係は人間が先天的な能力によって理解するわけで、これが道徳だというわけです。 こうしてカントは、倫理的に行動しなければならないと主張するのです。 外界は眼や耳を通じて色や音などの情報を我々に送りますが、それを理解できるのは精神に備わった一種の装置があるからで、この装置は先天的なものなのです。 この精神の中の装置は、外界からの情報を時間的・空間的に整理して我々が理解できるようにするわけで、別に物自体を認識できるわけではありません。 時間と空間は主観的なもので、我々はそれを直観するのです。 ヘーゲル(1770~1831)はカントの弟子ですが、弁証法で非常に有名です。 弁証法というのは、分離されたものは不完全であり、それらが統合されるにつれて完成度を増していくという理論です。 彼の有名な言葉に「現実的なものは合理的であり、合理的なものは現実的である」というのがありますが、ここで言う「現実的なもの」というのは統合され完成度を上げたものを指します。 こうして統合された全体を「絶対者」としていますが、これこそが実在するものです。 彼は「実在」を弁証法で説明しています。 「実在」というのは他から影響を受けずに独立して存在するものです。 父というのは実在ではありません。 子供があって始めて父親といえるわけであって、父は子供を前提としています。 つまり父という概念は子という概念に依存していて、「他とは独立して存在するもの」ではないからです。 子供も実在ではありません。子供は父親を前提としているわけです。 父と子を総合すると完成度が増して「実在」に近づくのです。 父と子以外にも甥や姪を加え、最後には全人類や宇宙を統合してはじめて実在になるというわけです。 つまり全体にならない限り「実在」ではないということです。ヘーゲルの弁証法というのは、個々の部分が統合されればされるほど完成度を増していくということです。 そして全体になって初めて「実在」になります。 「実在に関する見解は、先行する誤謬を間断なく訂正することによって発展する」のです。 真理と誤謬は対立物ではなく、真理とは全体なのであって、部分は真理ではないのです。 ヘーゲルは、世界史が弁証法のプロセスを進んでいるという「歴史哲学」を主張しています。 最初の段階は東洋人で、ただ一人が自由だという専制政治の段階です。 次にそれが統合されてギリシャ・ローマ時代になり、若干のものが自由だという民主制と貴族政の段階になりました。 そして最終段階がドイツ人で、全てのものが自由であることを知っているのです。 ドイツ人は精神の発展の最高の段階に来ているというわけです。 「ドイツ精神は新しい世界の精神であり、その精神の目的は絶対的真理を自由の際限なき自己規定として実現すること」なのだそうです。 この説はヘーゲル自体の説と矛盾しています。 最初の段階の東洋とはシリアやエジプトなどの地中海沿岸の地域で、ギリシャ・ローマやドイツも含めてヨーロッパ世界しか視野に入れていません。 しかしヘーゲルの生きていた19世紀前半は、インドの哲学がヨーロッパに紹介されてかなり注目を集めていた時で、支那や日本、アメリカ大陸などの知識も十分にありました。 つまりヨーロッパ世界はヘーゲルの言う「部分」でしかなく完成したものではないのです。 だからドイツ精神が最高段階であるはずはないのです。 ここでもヘーゲル哲学のロマン主義の本質が出ています。 即ち愛国主義だということです。 自分の属する国を最高にしたいという願いで自分の理論に反することを平気で言っているのです。 また弁証法を推進する英雄は通常の道徳律を犯しても良いとしていますが、この英雄とはアレクサンドロス大王、カエサルとナポレオンです。 ここにも英雄崇拝というロマン主義の特色が出ています。 ヘーゲル弁証法の、個々が統合されると完成度が高くなるという理論を個人と国家の関係に適用して、個人が統合された国家のほうが個人より完成しているとヘーゲルは考えます。 国家とは道徳的理念が現実化されたものなのです。 この理屈から、ヘーゲルは市民に対し自国の独立や主権を擁護するように要求しました。 更には戦争に参加することも市民に要求しました。 戦争というのは物質的な幸福がむなしいという事を人間に教える良いチャンスであり、たまには戦争をすべきなのです。 結局、ヘーゲルの理論というのは「現実に存在する国家」が最高に完成されたもので、市民はそれに服従しべしというのが結論です。 この説はプロイセン国家の支配者にとって涙が出るほど嬉しい思想です。 実際、ヘーゲルはベルリン大学の名物教授として、プロイセン王国の広告塔の役割を果たしたのです。 ダーウィンが「種の起源」を出版したのは1859年で、ヨーロッパの主要国は産業革命を経過して産業社会に突入した時でした。 生物は自分たちの種のなかで一番優秀なものの子孫を残そうとして、仲間内で競争をしているというのが進化論です。 同じイヌやみみずや人間でも個体により優劣の差があるということです。 キリスト教は、人間は基本的に同じように作られていると考えます。 それが現実には人の能力に差があるのは教育や育ちのせいだと従来は考えられていました。 この考え方は階級というものを支持する考え方です。 ところが進化論が出てきて、人間の能力の個体差は教育よりも、その個体が本来持っている環境適用能力の違いだということになりました。 つまり生まれつき駄目なものはいくら教育しても駄目なのであって、生まれや家柄を否定する考え方で大衆社会に適合した考え方です。 全ての種は進化していてだんだんに優秀になっているということから、進歩への信仰も生まれてきました。 国家や社会は生物とは違うはずですがそこにも進歩という発想が入り込み、社会は進化しているのだという考えが広まってきました。 産業革命の結果、生活は物質的に豊かになり便利になり、それに伴って社会は安定していきました。 こういう好循環によって国家に対する信頼が高まり、国家主義の傾向が強くなっていったのです。 進化論は人間が猿から、更にその元をたどればアメーバから進化したのだという考え方は、神がそれぞれの種を定めたという聖書の教えに反します。 進化論はキリスト教などの宗教に大きなダメージを与えたのです。 この進化論が社会に与えた衝撃というのは非常に大きく、いまでもその反動が続いています。 アメリカでは毎年のように「マンキー・トライアル」騒動があります。 高校で生徒に進化論を教えるのに反対するキリスト教の活動家が、「人間と猿が親戚だなどとはとんでもない」と高校を裁判所に訴えるのです。 アメリカだけでなく、多くの国で進化論は騒動を引き起こしており、日本のように誰もがこの学説を受け入れているという国は非常に珍しいです。 日本の場合は、人間だけでなく動植物も更には自然物も仏性を備えており、お互いに本質的な差は無いのだという大乗仏教の考えが普及しているからです。 人類みな兄弟、自然も兄弟という日本人が大好きな発想はよその国には通じにくいということを、日本人はもっと自覚すべきです。 機械が社会に及ぼした影響は甚大です。 今まで放置されていた土地や資源をより一層活用するようになり、また自然災害を克服できるようになりました。 そうして人間は自然を支配できると感じるようになりました。 産業社会というのは教育を受けた労働者を大量に必要とします。 字が読めなかったり数が数えられないと、いくら腕力があっても使い物にならないのです。 そこで政府は国民の教育に熱心になりました。 教育によって更に産業活動が活発になり、支配者は国民を教育によって統制し労働資源として有効活用できるという自信を持つようになりました。 このように19世紀後半から、人間の力は偉大だと思うようになりました。 この発想は、人間の力には限界あって無限の存在(神)の前には無に等しいという考えに打撃を与えました。 宗教の力が弱くなってきたのです。 賃金労働者というものが発生しましたが、これは雇い主にたいして如何にも無力な存在で、これに対して資本家というのは非常に強力です。 産業社会になる前は、賃金労働者や資本家は存在しませんでした。 職人と親方がいたわけですが、この関係は非常に流動的で徒弟職人も頑張れば親方になることが出来、力の差もさほどのものではありませんでした。 地主と小作人の関係も、以前は封建的な権利義務によってお互いの領分を守る安定した関係でした。 しかし資本主義が農業まで及んだ結果、金持ちが地主から広大な土地を借り労働者を雇って工場で製品を作るように農業をやりだしたのです。 農業にも資本家と賃金労働者の関係が持ち込まれたのです。 産業社会になって、自信を付け強大になった資本家と無力になった労働者の格差が非常に広がったのです。 17世紀のイギリスや18世紀フランスで起きた市民革命当時はまだ産業革命以前で、市民同士の力の格差はさほどでも無い時に起きました。 ですから「平等な市民」という考え方が成立したのです。 しかし産業社会になって、この市民革命の原則である「民主主義」の基盤がなくなってきました。 大衆がまだその事実に気づいていませんが、鋭い哲学者はそれに注目したのです。 ショーペンハウアー(1788~1860)は、意志の哲学とでもいうべきものを唱えました。 自分の眼で自分の体を見ることが出来ますが、自分の体は実は自分の意志なのだとショーペンハウアーは言うのです。 そして自分の意志などは実は存在せず、自分と他が別だと感じるのは錯覚で、実在するのは一つの巨大な意志だというのです。 すべての命にとって苦悩は不可避のもので、意志が強いほど苦悩も大きいのです。 全体に関する知識を得ると意志を持たなくなって自分を否定し、生を離脱するというのです。 私は始めショーペンハウエルの言っていることが良く分かりませんでした。 しかし彼が仏教を熱心に研究して彼の哲学を作り上げたということを知るに及んで、彼が言わんとしていることが分かってきました。 彼の哲学は彼なりに理解した仏教の教えだったのです。 自分が存在しないというのは「無我」ということで、実在する一つの巨大な意志とは「ダルマ」のことです。 自分の肉体は錯覚なのだというのは「空」「諸行無常」です。 すべての命にとって苦悩は不可避のものというのは「四苦八苦」を意味し、意志が強いというのは「煩悩」ということです。 「ダルマを理解し煩悩を消せば、無我になって解脱できる」という仏教の教えを、彼は「全体に関する知識を得ると意志を持たなくなって自分を否定し、生を離脱する」と表現したわけです。 ショウペンハウアーは、意志は煩悩であり邪悪なもので捨て去るべきだと考えました。 意志という論理とは別のものを重要視したわけで、これはルソーやカントなどロマン派の哲学者が情緒を優先した発想の延長上にあるものです。 この意志を重視する発想は、ニーチェ、ベルグソンなどの哲学者に影響を与えました。 ショーペンハウアーが意志を捨て去るべきだと考えたのに対して、ニーチェは意志を最大限に発揮すべきだと正反対のことを言い出しました。 苦痛に耐える意思の力が大事で、これによって偉大なことがなされるのです。 そうして偉大な「超人」を賛美するというロマン派の哲学を唱えました。 彼はいかなる宗教も真理ではないと考え、神に従う代わりに超人に従えと言ったのです。 ニーチェの説は、小さな犬が人を見たらやたらとキャンキャン鳴くような感じで、私はどうにも好きになれません。 カール・マルクス(1818~1883)の人気は落ち目ですが、現実世界に大きな影響を与えた重要人物であることは否定できません。 彼の前にも社会主義者はいましたが、哲学的な主張がありませんでした。 それを彼が「科学的」な体系に仕立て上げ、それまでの情緒的な社会主義運動を計画的・組織的なものにしたわけです。 彼の唯物史観というのは、ヘーゲル哲学とイギリス古典経済学を混ぜ合わせたものです。 弁証法というのは、個々の部分よりそれらを統合したもののほうが完成度が高いという発想です。 ヘーゲルではその推進力は精神ですが、マルクスはそれを物質に置き換えました。 生産様式(物質と人間の関係)が発展すると、それに伴って社会構造・思想・芸術などが一段レベルアップするのです。 イギリスの古典派経済学では、生産の三要素は資本・土地・労働であり、これをうまくマネージメントする中心的存在を資本家だとしています。 資本家を労働者にマルクスは置き換えたのです。 資本主義の初期の段階では多くの小企業が乱立しており、各資本家は必死になって会社の発展に尽力します。 この段階では資本家の存在価値は十分あるのです。 やがて小企業は競争により淘汰され最終的に巨大な独占企業だけになります。 この段階では、独占企業=国家ということになり、資本家の役割も終わりを告げます。 そうして資本家の地位は自然に労働者に移るのです。 マルクスは、共産主義革命は高度に資本主義が発達したイギリスで起きると考えたのですが、実際には起きませんでした。 そうして、資本主義などなかった後進国であるロシアと支那で共産主義革命まがいのことが起きたのです。 順序としては、資本主義 → 共産主義となるはずだったのです。 ところがロシアや支那は資本主義を経由していないので、現在共産主義まがいの体制をご破算にして、今頃になって資本主義を始めている状態です。 マルクスは見当はずれなことを考えていたのですが、それは彼の弁証法が間違っていたからです。 マルクスは生産様式が同じなら、社会体制も思想も文化も同じものになるはずだと考えました。 しかし生産様式が同じでも、社会の伝統が違えば思想や文化は同じになりません。 例えば、幕末に西欧列強は東アジアに侵入してきましたが、これに対する反応が日本と支那・朝鮮ではまるで違いました。 日本では草莽の志士や雄藩の下級武士が群がり出て状況を打開しようとしましたが、支那・朝鮮ではそのようなことはほとんどありませんでした。 当時のこれら三国の生産様式は、百姓から年貢を取り立て商人から運上金を召し上げて国家を運営していただけでさほどの違いはあるはずもなく、マルクスの弁証法が正しいなら思想や文化も同じはずです。 しかし実際は伝統的な発想が違っていて、その結果としてこれら三国のその後の運命は大きく違いました。 私は、唯物史観は現代人を多くの誤解に導いていると思っています。 生産様式・物質が思想や文化に影響を与えるのは事実でしょうが、それ以上に思想や文化が現実世界に大きな影響を与えます。 私が哲学や宗教、文化に大きな関心を寄せるのは、それによって豊かさや安全など、即ち現世の幸せに大きな違いが出てくるからです。 ところが、世間の考えは逆で未だに唯物史観に近い状態です。 私の主張は逆説じみていますが、現世の幸せを得たいならもっと精神的になるべきだというものです。 こういう考えを伝えたくて、いままでブログにも書き、本も出し、もっと良い本を出したいと考えているのです。 19世紀までの西洋哲学のことを今まで書いてきました。 20世紀に入ってからは、実存主義という新しい哲学が生まれていますが、私はこれについては書かずに終わろうと思います。 20世紀という現代の哲学は非常に幅広く、私自身がまだ良く分からないからです。 ある程度分かってきたら、いつか「現代哲学を読みました」を書きたいとは考えています。 また、19世紀までの2500年以上の西洋哲学と現在の哲学は流れが変わっていて一応の線が間に引けるとも思うからです。 19世紀までの2500年間は、「実在」を追及してきた時代です。 移ろいやすい目の前の現象の奥に、「永遠に変わらないもの」があるはずだと多くの哲学者は考え続けました。 「その永遠に変わらないもの」の一つが神です。 ところが百年前から、「永遠に変わらないもの」を考えるのはもう止めようという思想的傾向が出てきたのです。 「永遠に変わらないもの」などを考えるのは面倒くさいから止めようというのと、そんなものは無いという二通りの考えがあります。 「面倒くさい」と考えるのがアメリカの主流哲学であるプラグマティズムで、宗教を切り離して身軽になった便宜主義の哲学です・ 実存主義の一部は、「永遠に変わらないもの」など無いという考え方だと思います。 実は、仏教も「永遠に変わらないものなど無い」と考えます。 こういう意味では仏教も実存主義です。 ならば今から、仏教と西洋の実存主義を並べて勉強してみようと考えたのです。 そして仏教に接するために京都郊外に移住してきました。 私は、もともとは哲学などにはあまり関心がありませんでした。 高校生ぐらいから哲学に興味を持つ人がたまにいますが、彼らは驚異的に精神年齢が高い人だと思います。 私など歴史書を読んでいて、「何故彼らはこんな行動をとったのだろう」と考えて、その背後に伝統的な思想があるということがだんだん分かってきました。 哲学や宗教を知らないと人々の行動を理解できないのです。 宗教を馬鹿にして相手にしない人の著作は幼稚で読むのが嫌になります。 思想を理解していない政治家の言動は浅薄で、最初から結論が透けて見えます。 こういうわけで、宗教や哲学に関心を持つようになったのです。 そうして宗教や哲学が人間に与える影響の大きさに眼が覚める思いをしました。 私は、日本人のもっとも奥深いところにある発想は「あるべきようは」だと考えています。 「無欲になって自然の中で自分のいるべき場所を知り、そこに居るのが正しい」というこの発想は、現在では日本人に固有のもので、外人にはありません。 しかし、この思想は人間と自然が渾然一体となったもので、原始時代には普通にあった発想のような気がしました。 少し調べてみると、古代ギリシャにもあったということが分かってきました。 そこでギリシャ哲学を読んで、「あるべきようは」という発想が壮大な「実在」の哲学になっていったということが分かってきました。 時間があったら、この「西洋哲学を読みました」の6,7,11,24,25,36を読んでみてください。 恐らく、「あるべきようは」という発想があったのは日本と古代ギリシャだけではないと思います。 ギリシャと日本の違いは、一方はそれを論理的に突き詰めていき、もう一方は大乗仏教の影響を受けて、「象徴」ということで表現し曖昧なままにしておいたということです。 「あるべきようは」ともうひとつ「同じ釜の飯を食う仲間」は一族だという集団主義が日本人の発想の根幹だと思っています。 「同じ釜の飯を食う仲間」については今まで何度も書いてきましたが、いずれまた詳しく書きたいと思います。 西洋哲学とは「あるべきようは」を追求した足跡なのです。 今回の「西洋哲学を読みました」は、この2500年の足跡を私がたどった旅でした。 「西洋哲学を読みました」を終わります。 ジャンル別一覧
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